1月19日 0118-こども自然公園 [公園]
0118-こども自然公園
先日寄った時に梅林があったので、そろそろ、かなと思って寄ってみました。
斗夢さんのブログで、ちらほらという情報でしたので、期待はしていませんが、歯医者に行ったので、よってみました。
暇人のすることですね。
天気は良かったです。人は少ないですね。鳥撮りの方が数人なにか狙っていました。
ガタガタ行くとお邪魔ですから反対側に行きました。
アオサギが首を伸ばして、なにか狙っていました。
取りに行くかなと待ちましたが、時間がかかっていたので、やめました。
梅は咲き始めでした。木によって、咲いている木と、咲いていない木とがありました。
梅は咲き始めでした。木によって、咲いている木と、咲いていない木とがありました。
咲いているのは全体の1割ぐらいでした。
ススキ野原の階段を登ったり降りたりしている方がいました。
ススキ野原の階段を登ったり降りたりしている方がいました。
走って登ってきます。4回登るのだそうです、あと一回と言っていました。
がんばるな〜。
私は上に行くだけで休み休みです。
ススキ野原の上から富士山が見えると教えてくれました。
ススキ野原の上から富士山が見えると教えてくれました。
でも見えませんでした。
朝は見えたんだと言っていました。残念。
広いので、この先に行くとどこへ出るのかわからないので、お聞きするとつながっているというので、ついていって、教えていただきました。
水仙が咲いていました。
教えていただいた道はさくら公園の奥へつながっていました。
公園の木はほとんどが切られていました。
私が住んでいた頃に植えられ木で、まだ細かったですが結構大きな木でした。
見るも無残な姿でした。
虫がついたそうです。
あちこちが工事中でした。
1月17日 0116−世田谷ボロ市 [散歩]
0116−お昼作るの面倒だから食べに行こうということで、海老名駅の天ぷら屋さんへ、行きました。
天丼です。
小さな丼に山のような天ぷら。
見ただけでいっぱいになりそうなので、私は旬の野菜の天ぷらを頼みました。
揚げるたびに一つづつ持ってきてくれるので揚げたてで美味しかったです。
鶏のささみに大葉巻き、ごぼう、れんこん、紫芋、やまいも、ねぎ、ブロッコリー。
パラパラくるので、なんとなく食べてしまって、私は量的には少なくてよかったですが、普通の人は足りないですね。多分。
それと、茄子がないのが不満でした。茄子大好きなんです。
今は旬じゃないからだそうです。
でも天丼の方には入っていましたけど。
店の入口に書いてあるということでしたが、見ないで入りました。
エビが好きでないので天ぷら屋さんはめったに行きません。
その後、豪徳寺から上町まで乗って、ボロ市に行ってきました。
人混みを歩いていると目眩がしてきたので、早々に帰ってきました。
1月15日 0113−町田のまち [雑感]
写真クラブの例会にお借りしていたセンターが建て替えすることになり、宿無しになりました。
あちこち手配して、今回は町田のセンターをお借りすることになり、でかけました。
帰りにみんなで、ミニ新年会と賑やかな町田の街に出ていきました。
町田は若者の街ですね。
通りがかりの風景です。
こんな店に入りました。
個室になっていて、お安くていいです。
高級飲み屋?という感じです。
ビールを飲んで気持ちよく帰ってきました。
1月13日 0112ー乗越ました。 [雑感]
0112−お正月からダラダラした日が続いていました。
久しぶりに出かけたので、帰りに電車を乗り越してしまいました。
次だとわかっていたのに、ふうっと何か考え事してしまって。
降り損ない次の駅まで行って戻ってきました。
庭のヤマボウシの残り葉がきれいでした。
そして今朝、本を読んでいて、ハット気がつくと代々木上原駅です。
慌てておりましたが、危なく2日続けるところでした。
年は取りたくないです。くわばらくわばら。
1月12日 0111−友人の絵画展 [お出かけ]
0111−絵画展
今日は寒いと言っても日中は温かい方でした。
友人の絵画展があるので、渋谷まで行ってきました。
小田急線の下北沢駅で井の頭線に乗り換えます。
工事はまだ続いているようですが、だいぶわかりやすくなりました。
渋谷駅もなんだかごちゃごちゃしていて、わからないところは通らないで、知っている道だけ通ります。
高架橋を渡って、桜道を登っていきます。
油絵です。先日は二科入選しました。
今年は6点展示されていました。
とても素晴らしいです。
「三色菫」
「夏野菜」
「黄色い薔薇」
「ドラゴンフルーツ」
「杏」
「つる豆」
桜道から渋谷駅方面
渋谷駅前交差点
1月11日 0109−朝散歩の水仙 [朝散歩]
0109−遅い朝散歩
寒くて朝早くでられなくなりました。
朝食後にでかけました。
富士山がきれいでした。
遊歩道は水仙がたくさん咲いていますが、他の花はありません。
ギョリュウバイだけが満開で頑張っていました。
1月10日 0106−鳴門鯛焼本舗・実盛坂・湯島天神 [撮影]
神田明神を抜けて広い通りを行くと角にあった鯛焼き屋さん。
人がたむろしているが、並んでいるふうでないので、ちょっとつまもうかということで購入したら、注文してから待つことになっているようで、しばらく待たされた。
ここにいる人はみんな待っている人だった。
焼きたてあったかで美味しかったです。
食べ歩きしながらであった井戸。
湯島天神少し手前の実盛坂
坂にあった看板に書かれていた。
実盛坂 湯島3丁目20と21の間
『江戸志』によれば「・・・湯島より池之端の辺りをすべて永井庄といへり、むかし斉藤別当実盛の居住の地なり・・」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗の井戸があったと言う伝説めいた話が『江戸砂子』や『改撰江戸志』にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。
実盛とは長井斉藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現、埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に打たれた。
斉藤別当実盛は出陣に際して、敵に首を取られても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたと言う。
この話は『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しく記されている。
湯島の”真盛塚”や”首洗の井戸”の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。文京区教育委員会終わり
湯島天神の入り口にはお参りする人が並んでいるので、その手前の「鳥つね」でお昼にすることにした。
今日は親子丼のみとのこと。1800円。大きなお丼で量もあり美味しかったです。
1月9日 0106ー湯島聖堂・神田明神 [撮影]
聖橋を渡った先が湯島聖堂。
真っ黒い建物が目を引きます。
江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。とHPから
湯島聖堂の裏手に位置する 神田明神
初詣の方がたくさん来ていました。それでも友人は例年より少ないといっていました。
鳥居の柱の彫刻
わんちゃんもお参り
江戸神社本社神輿(神田市場大神輿)
鳥居の柱の彫刻
わんちゃんもお参り
江戸神社本社神輿(神田市場大神輿)
精巧と華厳さを誇り、その大きさは公称台輪四尺三寸、重量は千貫で現在日本一の神輿です。と書かれていました。
浦安稲荷神社
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嬉しい連絡もありました。
去年はずっと連絡が取れなかったMさんから、年賀状のお返事が届きました。
春頃から入院していて、暮に退院できたと。
今年は元気に暮らせるよう頑張りますというお便りでした。良かったです。
1月8日 0106−ニコライ堂 [撮影]
0106−ニコライ堂
御茶ノ水へ行くときはいつもJRで行っていたので、千代田線の「新御茶ノ水」という駅があるのを知りませんでした。
駅は地下深くにあるようで、エレベーターで、モグラのようにでてきました。
すぐ上がニコライ堂です。
昔はそびえ立っているかのように見えましたが、周りに大きなビルができて、ビルの谷間になってしまいました。
東京復活大聖堂協会、通称ニコライ堂と呼ばれています。
カトリックでもなく、プロテスタントでもない、正教会。
キリスト教の一宗派です。
1月7日 Aさんとの思い出 [雑感]
0106−年賀状のお返事にご家族から陶芸で親しくしていたAさんが亡くなられたと言う連絡がありました。
私が30代の頃。
横浜市の広報に陶芸教室の生徒募集の案内があり、申し込みました。
横浜陶芸センターは本牧市民公園の中にありました。
そこで、陶芸を習い卒業すると、その後もう続けることができなくなります。
今のようにあちこちに陶芸教室などなかったのです。
その頃作った器
自分で作業場を作り窯を用意して続けていくしかなかったのです。
市民陶芸センターは市で運営していて、無料でしたから、一度参加した人は次は申し込めませんでした。
そこで、その時のご一緒した数人が発起人になり、市と交渉して、有料で卒業後の生徒を指導するクラブを作ってもらうよう陳情に行きました。
その頃の市長さんは飛鳥田一雄さんでした。
陶芸センターのセンター長だった高木三次先生が後押ししてくださり、お医者様の奥さんだった、Kさんが弁が立ち行動力があったので、先頭に立って、私と亡くなられたAさんとが賑わいという形で、この飛鳥田さんを訪問しました。
飛鳥田さんが陶芸がお好きで、このセンターを作られ、高木先生に運営を頼んで発足したようでした。
その頃作った器。今は3個しか残っていません。
そんなことから、新たに陶芸クラブがつくられることになり、男性陣も加わり発足したのでした。今はどうなっているのかわかりませんが、とても懐かしい思い出です。
その頃の仲間が一人二人といなくなり年月の流れの速さが身にしみてきています。
高木先生のもとで生徒を指導されていたS先生はお元気ですが、年賀状で、寂しいといってきました。
これは作品展示会の時に買った友人の作品。この方は今お元気でしょうか??