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7月12日 0707-あばれ祭り−2 [撮影]

0707–お祭りは、夕方からですので、明るいうちに、撮影場所を案内していただきました。
彼女は、4回目なので、とても詳しいです。
右室の町は、路地がとても素敵です。雨が降っているから一層のことです。
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町毎にキリコが出るそうで、あちこちに待機しています。
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商店もお祭り一色、座布団はキリコを担ぐときに肩に挟む必需品です。
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この橋が梶川橋。ここから御神輿を海に投げ入れて暴れるそうです。
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格好いいお兄さんたちが集まっていました。
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お祭りの衣装を着た子どもさんが、でも皆んなカッパ姿です。
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お囃子の音が聞こえてきます。
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続々集まって来ました。
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お神輿を川に投げ入れて、ぶつけて、叩いて、大暴れして、最終的にはこの八阪神社の前で燃やして、奉納する様です。これは午前2時ごろだとの事です。
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神社の前にあった看板にはこの様に書かれていました。

宇出津のキリコ祭り

 

7月7日・8日は     宇出津八坂神社のキリコ祭りの日である。イヤサカ祭り、あばれ祭りともいう。伝承によると、昔、泥棒風という疫病が流行し、病死する者が続出した。そこで十村の桜井源五が京都祇園社から牛頭天王を勧請して盛大な祭礼を始めた。すると、大きな蜂が現れ住民を刺したが、不思議なことに、人々はたちまち病気が快癒した。人々はこの蜂こそ神の化顕とし、大きなキリコ(中にろうそくを入れた大きな行灯)を作って「大泥棒ボー蜂やさいた」とはやしてねり回ったところ疫病はことごとく絶滅するにいたったという。なお桜井源五は寛文4年(1664)に宇出津へ引っ越してきた十村で、近隣23ヶ村を支配した。子孫で源五を名乗った者は元禄期と宝暦期にも居た。


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