3月10日 0309-ホトケノザ 手作りマスク [撮影]
手作りマスク
ひっくりかえす時に強く引っ張ると切れてしまいましたが、出来上がりはしっかりしていて、上々です。
3月9日 0308−椿の思い出 [雑感]
昔、大船フラワーセンターへ行った時に、温室の前の広場で植木の販売をしていた。
3月8日 0307-朝散歩・目久尻川 [朝散歩]
こちらは、老人ホームのモクレンです。
早咲きの桜のようです。
畑の菜の花
ヒヤシンス
ボケ
もも
河津桜。
田んぼの畔のホトケノザ
さくらんぼの木ですが、去年切ってしまわれたので、今年は花が少ないです。
3月7日 0306−目が痒い [雑感]
3月6日 0221-萩・越ヶ浜 嫁泣港 [旅行]
朝食です。
センダンの実が沢山なっていました。
広い通りが日本ありその間は細い路地になっています。
越ヶ浜
越ケ浜は萩市街地の北東4㎞に位置し、潮流の作用により砂州ができ、笠山と本陸が繋がり半島となる。
海波は容易に砂州を越え、船も容易に曳いて越えることができることから「越ケ浜」と
いわれるようになった。
わかめが干してありました。
越ヶ浜の人々は飲み水を手にいれるため、大井や小畑の海岸沿いの湧水場所まで毎日水
を汲みに行っていた。水汲みは主に女性(嫁)たちの仕事で泣く泣く重い桶を運んでいたことが由来だそうだ。
漁船がいくつも並んでいました。
丸い湾になっていて、静かな港です。
11時25分発のシャトルバスでまた、笠山へ向かいました。
3月5日 0303ー嬉しいひな祭り? [雑感]
結果、何事もなく払い戻していただきました。
他に2冊の休眠の普通貯金通帳があるというので、それも解約してもらいました。
3月4日 0220-萩 武家屋敷 菊屋家住宅 [旅行]
菊屋家のなまこ壁がきれいです。
菊屋家住宅
入り口
桜の花が生けられていました。
お雛様が飾られていました。
御殿雛
雛の御殿飾りは、京の御所の紫宸殿をなぞらえた御殿を構え、御殿の内外に雛人形を飾りつける形式です。江戸時代後期から特に京、大阪で作られ、特に関西で好まれて大正、昭和期にはより簡易な御殿飾りが流行しました。
菊屋家所蔵の御殿びな飾りは、11代当主の孫輔の長女、喜美子が誕生した際(明治43年)に、注文制作されたものです。おそらく京都に発注したものと思われますが、すべて組み立て式にできていて、向かって左が紫宸殿、右が内侍所となり、間を長廊下でつないでいます。また御殿の内部には、古今雛形式の男雛、女雛を配し、その周りに官女、随身、囃子、仕丁等を置きます。
また段飾りには、諸道具類が置かれますが、これらには、毛利家御紋付野弁当、あるいは菊屋家紋(杏葉菊紋)付きの三方、膳、台飾り、さらには牡丹唐草紋付の三棚、長持ち、挟箱、化粧道具、茶道具、火鉢、花車、、御所車などの諸飾りがあります。これらの諸道具は、その保管箱の札などによって、東京の十軒店(日本橋・室町)の老舗である黒江屋や木屋本店で制作されたことがわかります。(案内板より)
丁場
金蔵を通って、裏口から出ます。お庭には入れませんでした。
前回来たときにこのカフェで、食事をしました。
こんな土壁も趣があります。
東萩駅までホテルのシャトルバスが迎えに来てくれるので、5時までに移動しなくてはなりません。
東萩駅からホテルのシャトルバスで、戻りました。
3月3日 0220-萩 藍場川沿い [撮影]
松本川から樋門を開いて取水し、荻城下新堀川まで水を通す。この水路を昔は大溝といったが、幕末に江向の川端に藍場ができたため、いつの間にか藍場川と呼ばれるようになった。この水路は城下町への物資の供給路、農業用水として重要な役割を果たしてきた。川沿いに、板囲いの洗い場を造ったり川水を庭の池に引き入れた古い家も多い。中でも樋ノ口の湯川家は、萩の古い屋敷の特色を随所に残しており、付近の景観の重要な構成要素の1つをなしている。建築年代は、家人の話では安政年間と言われている。
萩市教育委員会
お雛様が飾られていました。
良い天気です。気持ち良いです。だあれも歩いていません。
堤防に上がってみました。橋下川。
この先の椿大橋のたもとの藍場川入り口のバス停で、タクシーを待ちました。
3月2日 0229-朝散歩 国分寺台緑道 [撮影]
遊歩道の左右はクリスマスローズでいっぱいです。
見事です。
クリスマスローズ
スイセン
スイセン
ストック
スイセン 花びらが尖っています。
ボケ
沈丁花も咲き出しています。最近見かけませんでした。
スイセン
ミモザ
3月1日 0220–萩・東光寺→松陰神社までの道 [旅行]
「あみがさゆり」と「バイモ」は同じ花の名前ですので、どちらも間違えではないです。
松下塾発祥の地・玉木文之進旧宅を見学
すぐ横辺りに奥が明るい細い路地がありました。
廃屋好きの私ですが、ちょっと廃屋すぎ?
通りに面して登窯が作られていました。
松陰神社までは寄り道しながら1時間ほどかけてお昼頃松陰神社につきました。